これまで日本国内で本格的な醸造がはじまったのは1870年代に入ってからだとされていました。しかし2018年4月に熊本大学が江戸時代からワイン醸造が行われていたことを発表。日本ワインの歴史が変わろうとしています。
【更新情報】
2018年5月30日公開。
2019年4月3日更新。

約250年も遡った日本ワイン醸造の歴史

ワインヌ先生
これまで日本ワインの本格的な醸造は、1874年(明治7年)に山田宥教と詫間憲久が山梨県甲府にて行ったことが最初だと言われてきた
まーくん
ですね
ワインヌ先生
しかし、2018年4月に熊本大学永青文庫研究センターが行った史料研究によって、1627年(江戸時代・寛永4年)に小倉藩細川家当主の細川忠利が「ぶどう酒」の製造を行っており、混成酒ではなくブドウから造る醸造酒であることをつきとめたんだと

※ 細川忠利が醸造酒なのか混成酒なのかはわからないものの、「ぶどう酒」を造っていたという研究結果は2016年に発表されていました。
※ ワインはブドウを原料とした醸造酒。焼酎などの蒸留酒に果実を浸け込んだ混成酒とは異なります。
まーくん
えええ、すごい!
ワインヌ先生
そう、日本ワインの歴史が変わる

品種は山ブドウ、黒大豆の酵母を添加

ワインヌ先生
確実にぶどう酒が製造されていたのは1627年から1630年までの4年間。毎年ぶどう酒を仕込ませ、江戸にも献上していたことがわかってる。製造を担ったのは、細川忠利の家臣として御郡奉行を行っていた人物の弟である上田太郎右衛門。この人物は舶来南蛮技術や薬酒造りの技術を持っていたため抜てきしたそうな
まーくん
へ~
ワインヌ先生
品種は「がらみ」という山ブドウの一種なんだが、これには糖度が足りなかったため黒大豆の酵母を添加して発酵を助けていたっぽい
まーくん
江戸時代なのに、すごい技術ですね

細川忠利という人物

ワインヌ先生
さて、この細川忠利という人物だが、明智光秀の娘である細川ガラシャの息子になる
まーくん
ふむふむ
ワインヌ先生
ポルトガルからの舶来品である当時のワイン「珍蛇酒」を愛飲していた織田信長とも関係があり、1623年(元和9年)には長崎でぶどう酒を買い付けるよう命じる書状が残ってるんだと
まーくん
なるほど、信長関連でワインを飲んで「なにこれ美味い」となって、「うちでも造れるんじゃね!?」と思うに至ったかもしれませんね
ワインヌ先生
今と違って設備も何もなく情報も少ない中で、このチャレンジ精神。すばらしいな。鎖国令が完成する前年である1639年(寛永16年)まで、ひたすらワインを調達しまくってたらしいので、自分でも飲んで研究して、醸造に活かしてたんだろうな
まーくん
探究心すごい
ワインヌ先生
病弱な人で、薬として戦場に持っていったりもしていたみたいだが、時代としてキリシタンが追いやられていた時代で、ぶどう酒=キリシタンの飲み物という意識が強く、あまり売買されなかったようだな
まーくん
もったいない……
ワインヌ先生
ちなみに細川忠利は、当時薬用として使用されていたアヘンも製造していたことがわかってる
まーくん
アグレッシブだな